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スタッフブログ~日本の家の始まり~

 

こんにちは。スタッフAです!☻

 

ご縁に恵まれ オフィスに席を置くようになって今月で1年。
今は広報を中心に、できることからコツコツお仕事をしています。

建築・設計の初心者ですから「家作り」のことに関しては、まだ真っ白な状態です。
このブログで、知っているようで知らなかった家のこと、覚えたてのことなど、少しずつではありますが皆さんと同じ目線でお勉強していきたいと思います。

そして、たまには私が個人的に興味を持ったジャンルのこと!?もご紹介していきます。

文章も不慣れですが…お付き合い、よろしくお願いします🎵

 

 

ということで早速ですが今回は「日本の家の始まり」をお届けします!

 

私事ではありますが、先日、北九州市にある『いのちの旅博物館』へ幼稚園のころ以来に行ってまいりました!

そこに展示中の【縄文時代に建てられていた『たて穴式住居』の再現】を見て、当時の人たちの知識、技術は現代の家作りの建築構造とベースは同じであることに気付きました。

そこで、今回は家作りの歴史のお話をブログの題材とさせていただきます。

 

日本住宅の始まりは、縄文時代から弥生時代、庶民の住処として建てられた「竪穴式住居」といわれています。

『たて穴式住居』というのは半地下式になっており、現代でいう床がなく、全てが土間という形状。そこに柱を4本立て、それを水平な材=梁で結んで支える軸組み構造となっています。 こちらがたて穴式住居です↓。

 

 

教科書で見覚えのある方もいらっしゃるかと!

ちなみに、たて穴式住居の軸組み構造のイメージはこちら↓

 

 

平安時代に入ると、帝や貴族の住む「寝殿造り」という方法を用いた建築物が登場します。

 

寝殿造の特徴は、空間を御簾(みす:宮殿に用いるすだれ)や衝立(ついたて)、屏風などの調度品で仕切っていたということ。当時の貴族達は頻繁に大宴会を開き、儀式を行っていたため、空間の仕切りを簡単に変えられる必要があったそうです。

 

 

 

「将来子供が大きくなるまでは、間仕切らずに一つの大きな部屋として使う」・・・考えてみると、現代でも子供部屋などに採用されているフレキシブルな間取りと相通じる作りですね。

 

 

室町時代に入ると、「書院造り」という新たな建築様式が現れます。これは畳が敷き詰めた広間を中心に、襖で部屋を区切るように構成されていました。また、今までの寝殿造りにはなかった「床の間」や「飾り棚」をはじめ、「縁側」「障子」などが設けられており、書院造りは現代まで続く、和風建築のルーツともいわれています。

 

 

時代と共に生活様式や環境に適応するように変わってきた住宅ですが、デザインや技術はそれぞれの時代から受け継がれながら進化してきました。

省エネで快適な暮らしを実現させる技術や機能の進化と普及が“新しい家”を登場させてくれるのは今後も楽しみですね。

 

マイホームの歴史はとても長く、今後もずっと続いていくのだと思うと、なんだか家造りに携わるこの仕事がとても誇らしくなりました。